予備校講師のつぶやき 〜教育改革がいきる力を育む〜

地方在住の予備校講師(英・国・小論文) STARWARSが何より好き (SNOOPY、チェブラーシカは別格扱い)

"アメリカ一人旅 ⑦ (Backpacker in Las Vegas)" -後編-

 

takehammer1102.hatenablog.com

前回に引き続き、Las Vegas、後編です。

 

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Circus Circus

Circus Circusで「777」を揃えて小金持ちになった僕、日本のゲームセンターにもあるような、25cが満タン詰まった3つのコインカップを手に、場内をウロウロ、他にも何度かスロットマシーンに座ってみましたが、そう簡単に大当たりするわけもなく、しかも「貧乏旅行」の途中な訳で、この後の旅程、何があるやらわからない、、、吝嗇家なのかとも思えるほど保守的に考え(笑)ほとんどそれ以上投資せず、その巨大な建物から外に出ました。

 

そのまま、ラスベガスの通りをぶらぶらしていたのですが、今になって一つ疑問が。。AM200過ぎとはいえ、アメリカ、犯罪率も高い、しかも、西海岸で痛い目に遭っている(笑)、にもかかわらずバックパッカーの格好をした自分が現金のカップを手に持ちウロウロしていた

「危険」なはずなんですが。。なんとなく記憶しているのは、他にも僕と同じように現金カップを持って歩いている人がいたこと。それに、Las Vegasの雰囲気?なのか。未だに自分でもわかりません。

 

時間はもう既に深夜2時、今日はこのまま朝までカジノ!と腹を決めていた僕は、カジノを渉猟するためにメインストリートの Las Veags Blvd.(通称 The Strip)に出ました。

 

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到着してから、MGM、Flamingo、Circus Circusと渡り歩いた時点で一つ気づいていたこと、それは、1ブロックの距離がとても長いこと。

各カジノの敷地が巨大であり、また、土地に余裕があるためか、各カジノ間の距離も相当ありました。(後に調べてみると、MGMとCircus Circusの間でも約5㎞ありました)

 Strip(メインストリート)の南端のMandalay Bay Hotel あたりにGreyhoundのバスが到着したのがPM2200、ネオンに導かれるまま、気がつくと北端のCircus Circus、AM200、足掛け4時間かけて辿り着いたことになります。

 

そのまま南に戻って他のカジノホテルに行ってみることもできたのですが、日本から持参したガイドブックに、The Stripの北に「Downtown / The Fremont Street」があることを思い出しました。

 

「よし、このままDowntownに向かおう」

 

と決め、ネオンの輝くStripを後にし、北へと歩きはじめました。

 

歩きました。

歩きました。

 

西海岸のSF、LAでも、経費削減のために、公共交通機関さえほとんど使わなかった僕は、迷うことなく歩きました。

 

でも、見えないんですよ。

光が。建物が。

 

The Stripのネオンの光が僕の背後から消えるほど歩いても、自分の進行方向に何も見えません。通りの左右にもほとんど建物がなかった記憶があります。

元来、Las Vegasは、ネバダ砂漠のオアシスに生まれたわけで、その郊外は、基本的に荒野。 

距離感のつかめない暗闇、大事そうに現金カップを抱える貧乏学生。

背中にのしかかるバックパックの重み、ただ暗闇に向かい歩みを進める僕のADIDAS。そして、後ろから追い抜いていくバス。

幾人もの人々が窓から物珍しげに僕を見下ろす。「Good Luck!」のハンドサインもいただきました。。。

 

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DEUCE(The Strip 〜 Downtownの移動に用いる公共交通機関)

これです!このバス、本当に乗っていればよかった!

安いのに(泣)

「777」を引き当てたのに(笑)

 

結局、約6キロほどを約2時間かけてたどり着きました、The Fremont

 

 

 

疲れ果てた僕は、DowmtownにあるGreyhoundバスのターミナルの待合室で、背中の大きなバックパックを抱きしめる形で、3時間ほど眠りました。

結局、「朝までギャンブル」しませんでした(笑)

 

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Down town  /  The Fremont Street

「ラスベガス発祥の地」それがこのDowntown地区です。老舗のカジノやホテルのみならず、この地区周辺には市役所を始めとする各種行政機関も集中していました。

The Stripにはない「古き良き庶民の雰囲気」が残っており、まるで、僕の地元の商店街のような風情がありました。

 

それなりに散策し、カジノも覗いてはみましたが、もう、僕がいるそこは「The Sin City(罪の街)」ではありません(笑)。

牙を抜かれた狼のように、元の貧乏学生に戻っていました。

 「Las Vegas  Fin.」

そう日記に書いてありましたし(笑)

 

ということで、そのまま宿泊する理由もなく、Greyhoundのバスディーポに再び向かい、次の目的地へのチケットをとりました。

その目的地は、"Flagstaff"

聞きなれない地名ですが、『アメリカ=大自然』、その中でも最も有名な場所の一つ、The Grand Canyonへの玄関口、それが"Flagstaff"です。 

 

「罪」から解放され、「自然」に向かいます^^

 

 

"アメリカ一人旅 ⑦ (Backpacker in Las Vegas)" -前編-

ここんところ、公私共々多忙続き、やっと一つの山を越えました。皆さんの発信するブログを毎日チェックしながら、「早く書きたいなあ」と思いながら悶々としてました。「アメリカ一人旅」シリーズの続きを読みたい、とメッセージを下さった方もいました。(ありがとうございました)

これから仕切り直しで、20年前の「青春備忘録」のつもりでぼちぼち再開します。

 

 

イベント(トラブル)続きの西海岸から離れ、「罪の街 ラスベガス」に入りました。

 

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Night view in Las Vegas

 

グレイハウンドバスが目的地ラスベガスについたのはPM2200、毎度の如く、宿は予約せずに来ました。でも、ここは、眠らない街、ラスベガス、「眠ってる」場合ではない、て思ってました(笑)
 
バスを降りると、まっすぐと伸びる道沿いに、これでもかとばかりにきらびやかなカジノホテルが視野の向こうまで続いていました。そして、そこに見えるすべてのホテルにはカジノがあり、スロット、バカラ、カードボードが配置され、24時間、一攫千金の夢を見る人々が享楽にふけっている街です。
 
家賃滞納してまでの超貧乏旅行だったわけですが、ここまできて「カジノをしない」という選択肢はなく(笑)30ドル限定で夢を探しに行きました(笑)
 
 
 
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Flamingo Las Vegas

1946年、ベンジャミン・シーゲル(通称バグジー)が作り上げたホテル。ホテル名は彼の愛人ヴァージニア・ヒルから付けられた。ラスベガス大通り(ストリップ)の歴史そのものとも言える古い歴史と存在感を持つホテル。

 

まずは、映画「バグジー Bugsy」で舞台となったFlamingo Las Vegas へ向かうことにしました。
とてつもなく大きなフラミンゴのエントランス、そこに、どうみても貧乏バックパッカーにしか見えない僕は30ドルを握りしめ、胸を張って(笑)入りました。
カード系のカジノも多くありますが、ルールをほとんど勉強していなかったので避けて通り、比較的わかりやすい「スロット」のブースに行きました。
 
あたりまえのことですが、日本のように、玉やメダルに交換してカジノをするわけではなく、「ゲンナマ」、つまり本当のお金をかけるわけですから、スリル感は別格です。
 
賭ける金額・レートは、スロットマシーンによって異なりました。「5セント」「25セント」「1ドル」「5ドル」くらいの種類があったかと思います。わずか30ドルでの参戦ですので、まずは「5セント」から始めました。
「5セント×3」、つまりは、スロットレバーを一度回すたびに「15セント」がBETされ、どんどん吸い込まれていくわけです。確か10ドルほどカジノマシーンに吸い込まれたあたりで、ひとまずやめました。
まあ、10ドルのアメリカンドリームは転がってませんよね(笑)
 
そのままカジノ内を見学し、底抜けに明るくカジノを楽しむ、アメリカの老若男女の姿に圧倒されました。
 
 
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MGM Grand Las Vegas

次に入ったのはMGM、何せでかかったです!
確か、5000室以上もある超巨大カジノホテル。無駄にいろんなフロアを散策し、もはや、カジノというかラスベガス観光みたいになってきてました(笑)
Flamingoもそうでしたが、時間が早ければいろんなショー(マジック・アーティストのライブなど)があるようで、しかも。宿泊費が意外と安い!まあ、カジノで十分収益でるんで当然でしょうけど、本当に規模の大きさとエネルギーの大きさに、まさしく" The American Bigness"に圧倒されっぱなしでした。 
 
 
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Circus Circus Las Vegas

 

そして次に訪れたのがCircus Circus、ここは、初心者の僕に「何故か」優しい印象を受けました。フロントマン、中にいる宿泊客、感覚ではありますが、ウェルカムな雰囲気があったのを記憶しています。

なんとなく気に入ったので、ここで腰を据えてギャンブルしようと思い、目に付いたスロット台に座りました。

さて、残金20ドル、おもむろにBETし、レバーを引きました。1回、2回、3回、、、

1、2分後、、、

 

 

「777」

 

 

揃っていました!

大きな音楽が流れ、近くにいたバニーガールの女性が隣に来て「Congratulation!」、その台の支払い部分から、大量のコイン(25c)が山のように出てきました。

おそらく300から400ドル位だったと思います。

日本のゲームセンターにもよくある「コインカップ」、あれの大きなやつが3つ分、しかも、それは、コインではなくゲンナマです。

不思議な感覚になりました(笑)

 

そのまましばらく近くのスロット台でちょこちょこ当たったり吸い込まれたりして、ふと時計を見るとAM200。

手にはコイン満タンのカップ、カジノの中には、深夜にもかかわらず大音量が鳴り響き、老若男女まだまだ多くの人がカジノに勤しんでいます。

「もう今晩は部屋に泊まらず徹夜であそぼう!」

ていう気持ちになりました。

 

長くなりましたので、前編ここで区切ります

(後編に入っても、トラブルはなく平和な時期が続きます^^)

 

 

 

 

"月" 〜Eyes on the stars〜

今晩の講義中、生徒に試験を解かせている時、ふと窓を見ると、東の空に、黄褐色に美しく輝く月が見えました。あまりに綺麗で、つい、試験終了の合図を忘れそうになる程見惚れてしまいました。

 

僕の敬愛する「西行法師」も、終生「月」を愛しました。

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 昔から、「月」に何故かとても惹かれます。

 

〜月の呼称〜

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太陰暦(月の満ち欠け・月の呼称) 今宵の月は「立待月」

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「教育」産業と「受験」産業

前期日程の合格発表もほぼ出そろいました。

いろんな塾で、表通りから見える場所に、恒例の「合格実績」とやらを掲示しています。とても大きな「見やすい」文字で。

しかも、まともに講義を受けていない生徒まで「合格実績」とやらに加算してたりもします。

 

これ、本当に納得いかないんですよね。

 

当たり前のように、国立→私立の順、東大・医学部→他大学の順、つまり、偏差値・難易度の高い順に並んで行くわけです。

合格者掲示そのものをやめてはどうか?」とつめよったことがありますが、「宣伝効果が、、」「他の塾予備校もやってるから、、」などと言い、「検討する」といったまま放置でした(笑)

 
 
以下は、心の叫びです。

"アメリカ一人旅 ⑥ (Backpacker in Los Angels)"

 後期日程の対策も終わり、一段落つきました。アメリカ一人旅、ロサンゼルス編の最後です。

 ↓ 前の記事

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ロサンゼルス郊外の「やや」危険な地域にいた僕は、黒人青年から辛くも「勝利?」を勝ち取り、バスに乗り込みダウンタウンに向かいました。

 

その時、偶然、隣に座ったCarlosという青年、年齢も僕と同い年、メキシコからロサンゼルスに来たばかり、という彼と意気投合し、お互いの国の話をあれこれと話し込みました。ただ、その彼、顔には少し殴られた跡、どうやら問題を抱えているようでした。

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ノスタルジックな"90年代(前半)の洋楽"

 ↓ 前の記事

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1990年〜1995年

僕の高校1年〜20歳の時期、この時期にも思い入れのある曲がたくさんあったので、「ついでに」と、90年代前半リストも彼女に渡しました(強制的^^)

主にバラード中心になりました、多分、僕はその当時の恋愛・人生の悩みを、こういう曲を通じてなんとか乗り越えようとしていたのかもしれません。

 

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ノスタルジックな"80年代の洋楽" 

国公立大学・個別試験の前期日程が終わり、中期・後期日程の対策時期が始まりました。国公立大学入試の主戦場は、定員・スケジュール的にも「前期日程」であり、また、この時点で大半の生徒は私立大学の合格も獲得しているわけですから、もはや、気持ちは「大学生」、前期に比べてはるかに難易度の高い後期日程の対策(180分の論文・120分の総合問題など)に本腰が入らないのが現状です

(なんとか尻を叩くのですが、前期日程の発表までは気分がふわふわと浮ついている者が大半です(苦笑))

 

僕の生徒の中に、とても映画の好きな女生徒がいます。どうも"Bat man" "Spider Man" あたりのMarvelous Comic、つまりアメコミ関連の映画に中学時代にはまり、そのままいろいろな映画を漁り、最終的に行き着いた彼女のベストムービーは「Back To The Future」、彼女曰く「やっぱり、80年代が最高!」と。

 

その彼女、先日、第一志望の私立大学に合格し、合格発表の後、「Back to The Future」のDVDを徹夜で全部見た後、その足で僕のところを訪ねてきて、僕に「宿題」を出していきました。

 

「やっと受験終わりました〜。先生、ちょっとお願いがあります。先生目線でいいので、『80年代の洋楽アーティストのおすすめリスト』を作ってください!」

 

どうやら、Huey Lewis & The News "The power of Love"(Back To The Futureのテーマソング)が大のお気に入りらしく、同じ空気感を持つ80年代の音楽をもっと聴きたくなったということでした。

 

1974年生まれの僕にとっての80年代(小学2年〜中学3年)、映画・音楽・Fashionなど、一番影響を受けた時代です。自分のノスタルジックな風景の源流は80年代なのだろうとも思います。そこで、自分目線で、懐かしみながら、とりあえずリストを作ってみました。

 

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