"科学 (science)" と "帰納 (induction) 演繹 (deduction)"
進路指導や個人面談をしていると、保護者の方や生徒がよくこう言います。
「うちの家系(僕・私)は文系(理系)だから〜」
僕はそれを聞くといつも「科学」という言葉の意味を説明することにしています。
普通、「科学」と聞くと連想するのは「物理・化学・生物・地学」などです。つまり、理系の分野のイメージが強いと思います。
でも、「科学」という言葉の本来持つ語義は、広い意味でいうと
「物事を、客観的に分析して、体系的に情報処理すること」
実は、日常的にみんなやっていることなのです。
例えば、主婦の方が、スーパーで山積みになったリンゴの中から、一つを選んで買い物かごに入れること、これも「科学」です。
それまで幾度もリンゴを買ってきた主婦の方は、経験則からどんな「色・形・大きさ・香り」がするリンゴが美味しいのかについて、自分の脳の中、いわば、膨大なデータベースから必要な情報を取り出して、山積みのリンゴからベストなものを選び出しているわけです。
でも、その方も、リンゴを買う経験の浅かった頃は、きっと甘くなかったり水分の少ないリンゴを買ってしまったかもしれません。その後、幾度も買い物を経験して、少しずつ「真贋を見極める」リンゴの選び方を体得したはずです。
このプロセスの「経験を経てリンゴの選び方を習得する」部分を『帰納』と呼び、また、「習得した選び方を駆使してリンゴを選ぶ」部分を『演繹』と呼びます。
『帰納』『演繹』はいずれも哲学用語なので難しそうですが、そうでもありません。
「具体 → 一般」が『帰納』(具体例が一般法則に帰っていく)
「一般 → 具体」が『演繹』(一般法則を使って具体的に演習してみる)
『帰納(induction)』 "in-"は"中に入る”の意味
『演繹(deduction)』"de-"は"外に出る”の意味
ルネ・デカルト(Rene Descrartes)「演繹法」の祖
フランシス・ベーコン(Francis Bacon)「帰納法」の祖
つまり、「科学」という物の見方には「帰納と演繹」が表裏一体の関係で存在し、それを連続して行うことによって、いつかは真理に行き着くということです。
大学で研究する学問は、
「自然科学(医学・薬学・物理学 etc..)」
「人文科学(文学・歴史学・哲学 etc...)」
「社会科学(経済学・政治学・社会学 etc...)」
の三つで構成されています。
ですから、文系であろうと理系であろうと、科学的な思考・アプローチ、つまりは、「客観的に分析して、体系的に情報処理すること」が求められるわけです。
そんなことも教えずに、ただ漫然と「覚えさせる、解かせる」、、、
そんな、単なる「記憶力テスト(短期記憶)」を奨励している教師(講師)がいるこの現状、せめて僕の関わる生徒だけには、学問・知識の体系的、かつ合理的な取り組みかたを伝えていますが、、、、、なかなかみんな手強い、、、、頑張ります^^