"アメリカ一人旅 ⑥ (Backpacker in Los Angels)"
後期日程の対策も終わり、一段落つきました。アメリカ一人旅、ロサンゼルス編の最後です。
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ロサンゼルス郊外の「やや」危険な地域にいた僕は、黒人青年から辛くも「勝利?」を勝ち取り、バスに乗り込みダウンタウンに向かいました。
その時、偶然、隣に座ったCarlosという青年、年齢も僕と同い年、メキシコからロサンゼルスに来たばかり、という彼と意気投合し、お互いの国の話をあれこれと話し込みました。ただ、その彼、顔には少し殴られた跡、どうやら問題を抱えているようでした。
メキシコからGrey Hound Busでロサンゼルスに来たのが2、3日前。バスターミナル近くのモーテルに宿泊していた。今日の夕方、自分の部屋に帰宅すると、見知らぬ黒人が3人部屋に座っており、彼の荷物なども見当たらず、「この部屋は俺たちの部屋だ、出て行け!」と恫喝され、散々もみ合った挙句、黒人の仲間がさらに数人部屋に押しかけて来て、取るものも持たずなんとか部屋から逃げ出し、知り合いのいるWest Hollywoodに向かうためにバスに乗っているところだ。
彼の話の骨子はこんな感じでした。
僕もその日の宿泊場所はWest Hollywoodにしようと思っていたので、彼と同じバス停で降りることになりました。無一文になったCarlosを哀れに思い、近くのYOSHINOYAで牛丼( Beef Bowl?)を彼におごってやり、彼はそのお礼として、近くにあった、アジア人の経営するモーテルへ案内してくれ、値段交渉までもしてくれました。
そのまま、「翌日のランチでも一緒に食べよう」とAM11:00に待ち合わせの約束をし、僕は部屋に、彼はどこかに消えました。
「バスターミナル近辺の治安」、やはり、、、と改めて肝が冷えました。
AM11:00
待ち合わせ場所に、Carlosは来ませんでした。
「アメリカ人」のイメージ、"Not punctual"(時間は守らない)というステレオタイプのイメージがあったので、さほど驚きはせず、一人で Sunset blvd. 沿いにブラブラ散歩に出かけることに。
HOLLYWOOD
遠くから見ました。とりあえず見ておかないとなあ、と(笑)
Chinese Theater
数多くの映画俳優の手形足型がある"Walk of Fame"で有名な「Chinese Theater」、観光客でごった返していました。本当は映画鑑賞したかったけど、経費節約のため外観だけで我慢。
ROXY
80年代〜90年代、西海岸のHR/HMの数多くのアーティストがライブをした伝説のライブハウス「ROXY」、ここも、経費削減のため、外から散々眺めて満足して帰りました。
Guitar Center
Chinese Theaterの"Walk of Fame"は映画ジャンル、それに対し、ここにある"Rock Walk"には、一流音楽アーティストの手形がびっしり配置されています。店舗の中も、日本では考えられないくらいの広さ、品数、圧倒されました。
奥の方に進むと、14、5歳くらいの少年が、父親と一緒にギターの試奏をしていました。Marshall(有名なアンプのブランド)のアンプにStratcaster(Eric Craptonがよく弾いているギターのモデル)をつなぎ、Stevie Ray Voughan(有名なブルースギタリスト)のフレーズを無表情で、かつ、ものすごいスピードで弾きまくっている、それを見た父親は、「俺に代われ」と言わんばかりにそのギターを奪い、さらに上のステージのプレイを見せつけていました。。。。恐るべし、アメリカ。
PM18:00
夕暮れ時まで散々歩いた後、近くの店で、ビールや食材を買い、モーテルの部屋に戻ってCATVでFOXあたりを見てぼおっとしていました。
PM22:00
ドアをノックする音、不審に思い"Who is it"と尋ねると、"It's Carlos!!"とでかい声。昼間の約束をスルーされていましたが、事情もあったのだろうと、とりあえず部屋に招き入れました。
その彼の表情は前日とは違い、とてもにこやかに笑っていました。
「親類数人を連れて元の部屋に戻り、そこに居座る黒人たちと話し合い、無事に、荷物もカードも全部回収できたんだ!」
そう彼から聞きました。さらに、前日の YOSHINOYAの代金(10ドル弱)を返してもきました。
「んじゃ、お祝いでもするか」
ということで、ビールも追加で買い出しに行き、僕の部屋で深夜遅くまで二人で飲みました。メキシコの経済状況、就職難、アメリカでチャンスをつかみたい、など、当時二人とも21歳、いろんな話をした記憶があります。
そのまま酔いつぶれ、僕はベッド、彼はソファで眠りにつきました。
AM9:00
先に目覚めた僕は、タバコを一服し、ソファでまだ眠るCarlosを横目に、「キャッシュ(現金)の入っている財布」を持ってシャワールームに入り、5分ほどで出てきました。
そこに、Carlosはいませんでした。
「どこへ行ったのだろうか?」と、ふと、ソファ横の窓際に目をやると、そこにあったはずのZIPPOとMarlboro、サングラスがありません。
「まさか?!」と思い、バックパックの底を探りました。
一番底に、下着や小物で包みかくしてあった「キャッシュカードの入ったサブの財布」がありません。
盗まれました。。。。
一瞬、何が起こったのかわからず茫然自失となりましたが、急いで、モーテルのオーナー(アジア系移民のおばあちゃん)の所へ行き、事情を伝えました。
彼女は「私は初めからあの男は怪しいと思ってたんだよ。いずれにせよ、キャッシュカードを止めておいで」と僕にアドバイスをしてくれ、すかさず、受付にあったモーテルの電話を借り、カード会社(VISA)に連絡を取りました。
つながった先の日本人オペレーターに、盗難の状況を説明し、「カード停止の依頼」をお願いしました。しかし、時すでに遅し。その時点ですでに限度額いっぱい(2,500ドル)引き出されている、とオペレーターから告げられました。
頭の中は真っ白になりました。もはや、旅行を続けられない。。。
ただ、幸運にも、盗難によって引き出された場合、そのお金は僕が支払う必要はない、と教えていただきました。
アメリカはカード社会、TC(Travelers Check) の持ち合わせもキャッシュも少ないので、仕方なく、「Emergency Card」を発行してもらう手続きをし、アメリカ横断中の旅程のどこかの街で、Fedex経由で受け取る、という流れになりました。
(帰国後、カードの調査員が来て、ものすごく疑った態度で尋問された。。。4畳の安アパートの貧乏学生なので「詐欺」だと思われたのかも。。。)
しかし、一体どこでカードの暗証番号を盗んだのか、いろいろ考えました。自分の暗証番号は、生年月日などの組み合わせではなかったので、類推するのは不可能、しかも、「一度も間違えずに入力している」とVISAの担当の方も不思議がっていました。
唯一、可能性があったのは「ATM」でした。前日、買い出しに行った時、あるATMで現金を引き下ろしたのですが、一応、Carlosに対して少しは警戒心を持ってはいたので、彼と10メートルほど離れた状態で引き下ろしをしました。が、その時、後ろに数人順番待ちで並んでいました。その中の誰かが、Carlosとグルであった、としか考えられません。。。。
もはや、ロサンゼルスに魅力を感じなくなり、その日のうちに、バスターミナルに向かい、次の目的地を考えました。
この、鬱積した怒り、憤り、自分の甘さに対する後悔、、、、
「そうだ!Las Vegasに行こう!」
ということで、パーっと「ハレ」の気持ちになるために、
Las Vegas 別名 "Sin City(罪の街)"
「毒を以て毒を制する 」、American Dreamの一つの結晶、24時間眠らない街。
嫌な気分を断ち切るために、Las Veas行きのバスに乗り込みました。
西海岸は本当にトラブルばかりでした(刺激はありましたが)