"あん" 2015(日本)
先日、昨年5月に公開された映画「あん」のアンコール上映が発表されました。 僕も、昨年の上映期間は多忙のため見逃してしまっていましたが、つい先日、地元の映画同好会の主催で、この作品を見てきました。
〜ストーリー〜
どら焼き屋「どら春」の雇われ店長の千太郎、ただ毎日好きでもないどら焼きを焼き続ける、単調な日々をこなしていた。そんなある日、店の求人広告をみて、そこで「働くこと」を懇願する一人の老女、徳江が現れる。どらやきの粒あん作りを任されることになった徳江、彼女の作る粒あんはあまりに美味しく、店は突然に繁盛していった。
しかし、徳江がかつてハンセン病患者であったという心ない噂が流れ、客足が遠のいてしまう。徳江は、自ら「どら春」を去ることになる。徳江が店を去った後もずっと気掛かりだった千太郎は、徳江と心を通わせていた近所の女子中学生ワカナと一緒に徳江に会いに行くことにする。。。
〜感想〜
樹木希林さん、永瀬正敏さん、この二人が言葉少なに語る、お互いの奥にあるデリケートな部分を感じつつ、いたわり、決して交わることのなかった二人の人生が、どら焼きの「あん」を通じて交わり、振り返り、深い心根に暖かい何かをもたらします。「やり残したことはありませんか」、そのセリフは本編中には出てきません、でも、お互いにそれを伝え合っていることがわかる、素晴らしい演技力でした。自由を奪われて、差別にさらされても、深い心を持ち続けられる徳江さん、ひたむきに生きて、あるがままの自然を愛する気持ちがあるから生きてこれた。桜が風に揺れる、濃い緑の樹々、雨に落ち濡れた桜の花びら、なんでもない景色なのに、どれも繊細で悲しく、そして美しく表現されていました。
実は、この映画「あん」を見る前に、小説「あん」を読んでいました。確かにストーリーそのものは同一なのですが、映画「あん」と小説「あん」は、僕にとっては別のものと捉えています。
小説には元来、「映像・音」がありません、だからこそ、そこに綴られた一つ一つの言葉が持つ重みを五感でもって感じとるのだと思います。
この小説の作者「ドリアン助川」さん、90年代初めに「唄う詩人の会」というパンクバンドを結成し、「詞の朗読とパンクロックの融合」したスタイルで話題となり、音楽・演劇・文学が渾然一体となったステージも斬新でした。(ライブビデオ「大漁旗がなびくぜ」は 最高です)
彼が持つ「感じる」力と「表す」力、そこから紡がれる小説「あん」の言葉、特に、映画では描かれていない「二人がやり取りする手紙」の文面、とても心に訴えてきました。
心の思いを、熟考を重ねる過程で相手の気持ちも感じながら選びつつ文字にしていく「手紙」
心の中で何度も反芻し、読む相手の心を感じながら書く「手紙」
「話せなかったこと、言葉じゃ足りないこと」その想いを文字にする「手紙」
テンプレートや予測変換のあるメールのような利便性はありません、その代わり、一文字一文字を丁寧に、アナログな文字を書くことの重要性を、生徒達にも講義を通じて伝えています。