予備校講師のつぶやき 〜教育改革がいきる力を育む〜

地方在住の予備校講師(英・国・小論文) STARWARSが何より好き (SNOOPY、チェブラーシカは別格扱い)

"西行法師" 花と月を愛した孤高の俳人

 

『嘆けとて 月やはものを おもはする かこち顔なる わが涙かな』

 西行法師

〜現代語訳〜

「悲しみなさい」と、月が私を物思いにふけらせようとしているのだろうか。いや、そうではない。本当は愛するあの人のことを思い苦しんでいるのを、「これは月がそうさせているのだ」と言い訳しようとして、思わず流れる私の涙なんだ。

 

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 月と金木犀

 

人生の送り方、生き方、そして終わり方、それらの意味で僕の憧れる人物、その一人が「西行法師」です。

 

本来の専門教科、大学の専攻も英語なのですが、訳あって、いつの間にか国語も教えるようになりました。

僕は、高校時代のあることがきっかけで、「月」にとても魅力を感じ、また、月の満ち欠けを基軸にした平安時代の人々の感性にいつの頃か惹かれるようになりました。

(その頃の僕は、金髪でグレたいわゆるヤンキーでしたので隠してました(笑))

 

『西行法師』(1118〜1190)

本名は佐藤義清、平安末期の大歌人。裕福な武士の家系に生まれ、17歳で兵衛尉(皇室の警護兵)となり、のちに、御所の北側を警護する精鋭部隊「北面の武士」に選ばれた逸材でした(同僚は平清盛!)北面の生活で頻繁に催された歌会で、彼の和歌は高く評価され、また、武士としての実力も一流で、「流鏑馬(やぶさめ)」の達人でもありました。しかも、「かたち」、つまりはルックスも抜群だったらしいです。しかしその後、「自分の生き方」、現代でいう「アイデンティティ」に疑問を持ち、周囲の者たちに惜しまれるまま、妻子を残して出家、その後人生を通じて全国を行脚し、旅の中に人生を終えることとなり、その道中に、多くの優れた和歌が読まれました。

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 西行法師(佐藤義清)

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やわらかい "生物学(biology)"

「カニクイザル」「カニクイアザラシ」「カニクイイヌ」「カニクイガエル」

ただ「カニを食べる」という習性のみで命名された。。。

「マナマコ」

敵の攻撃を受けると「内臓を肛門や口から放出」する。。。

 「カエル」

動くものは何でも口に入れ、うっかりハチなどを飲み込んだ時は「口から、胃を裏返して」吐き出し取り除く。。。

僕が中学時代に毎週購読していた唯一の雑誌「週刊ヤングジャンプ」、その中に当時掲載されていた漫画ナマケモノが見てた」で学んだ「生物学」の知識です(笑)

英語、評論文の素材として「生物学」はよく取り上げられます。ただ、教材内容としての生物学は専門的、かつ学術的すぎるため、なかなか教養として吸収してくれません。

 

そこで活躍するのが、世界中に散らばる「個性的な生物たち」です。

中でも、一番のお気に入りはハシビロコウです。

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ハシビロコウラテン語 Balaeniceps rex 「クジラ頭の王様」)

"アヤパネコ (Ayapaneco)" と "平安時代 (Heian period)"

「アヤパネコ」って知っていますか?

アヤパネコとは、メキシコのタバスコ州で話されている(た?)言語の一つです。元来、少数派が使っていた言語であったそうですがそれでもれっきとしたコミュニケーション媒体として成り立っていました。

しかし、スペイン語の識字能力を向上しようとする国の政策が浸透するにつれて、段々と使われなくなり、また、過疎化も進んだことによって、今現在は、母語話者としては、「マヌエル・セゴビア「イシドロ・ベラスケス」のたった二人になってしまいました。

そしてさらに、二人はとても仲が悪い(笑)ので、対話さえも成り立たないという、「絶滅危惧種」の言語です。

 

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仲の悪い(苦笑)「マヌエル・セゴビア「イシドロ・ベラスケス」

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"科学 (science)" と "帰納 (induction) 演繹 (deduction)"

進路指導や個人面談をしていると、保護者の方や生徒がよくこう言います。

「うちの家系(僕・私)は文系(理系)だから〜」

 

僕はそれを聞くといつも「科学」という言葉の意味を説明することにしています。

普通、「科学」と聞くと連想するのは「物理・化学・生物・地学」などです。つまり、理系の分野のイメージが強いと思います。

でも、「科学」という言葉の本来持つ語義は、広い意味でいうと

「物事を、客観的に分析して、体系的に情報処理すること」

実は、日常的にみんなやっていることなのです。

 

例えば、主婦の方が、スーパーで山積みになったリンゴの中から、一つを選んで買い物かごに入れること、これも「科学」です。

それまで幾度もリンゴを買ってきた主婦の方は、経験則からどんな「色・形・大きさ・香り」がするリンゴが美味しいのかについて、自分の脳の中、いわば、膨大なデータベースから必要な情報を取り出して、山積みのリンゴからベストなものを選び出しているわけです。

でも、その方も、リンゴを買う経験の浅かった頃は、きっと甘くなかったり水分の少ないリンゴを買ってしまったかもしれません。その後、幾度も買い物を経験して、少しずつ「真贋を見極める」リンゴの選び方を体得したはずです。

このプロセスの「経験を経てリンゴの選び方を習得する」部分を帰納と呼び、また、「習得した選び方を駆使してリンゴを選ぶ」部分を『演繹』と呼びます。

 

帰納』『演繹』はいずれも哲学用語なので難しそうですが、そうでもありません。

「具体 → 一般」が『納』(具体例が一般法則にっていく)

「一般 → 具体」が『繹』(一般法則を使って具体的に習してみる)

帰納induction)』 "in-"は"中に入る”の意味

『演繹(deduction)』"de-"は"外に出る”の意味

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" 今を生きる(Dead poets society)" 1989(米)

自分の高校生活は、不条理な管理教育の真っ只中、理由をつけては捕まえられ、体育教員に殴られ蹴られの日々(すごい時代だ。。苦笑)。

小学・中学時代に感じていた学問の魅力は消え失せ、暗澹とした毎日を過ごしていました。

「校則を守り、ただ従順に勉強だけしておけばいい!それができないなら、ここから去れ!」と、価値観の押し付けに対して反抗的な僕は、謹慎・停学を命じられ、結果、大人、特に「教師」なんて微塵も信用できなかった高校二年生。

そんな時、この映画に出会いました。

 

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〜ストーリー〜

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産業化した「教育」に一石を投じるために。

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" 今を生きる(Dead poets society)"  1989(米)

 

18歳から携わった「受験業界」、20年以上現場に立っていると、毎年段々と強く感じるようになってきたことがあります。

 

「デジタル化、情報化」が急速に進み、既存の価値観が多様化していく。その中で、気づかぬうちに様々なものに振り回されている彼ら。

成長社会は終わりを告げ、成熟社会に入ってもう10年以上。

それにもかかわらず、アナクロな思考や産業化したシステムに翻弄されて、時に無為な時間を費やすことにもなっている。

 

「ことば」の持つ力、「知識」を「知恵」に、そして「創造」へと変える力、

『次世代がこれからの社会を「いきる」力を育むために何ができるか』

自分の観点から考えてみる場所として、ブログ開設しました。

 

講義だけでは伝えきれない様々な知識・教養・そして生き方。

次世代を担う彼らに、僕たち大人がすべきことは何なのか。

これから徒然と綴っていこうと思います。