予備校講師のつぶやき 〜教育改革がいきる力を育む〜

地方在住の予備校講師(英・国・小論文) STARWARSが何より好き (SNOOPY、チェブラーシカは別格扱い)

"チャールズ・チャップリン (Charles Chaplin)" 「喜劇王」の真実

中学時代、反抗期の真っ只中、田舎者の僕にとっての「かっこいい」はヤンキー風スタイルでした。短ランやボンタンに憧れ、遠路はるばる街中までその系統の制服が売ってある店をふらふら(お金もないのに)さまよい、時には、同じような格好をして、無駄に目つきの悪い(笑)連中ばかりが、同じ映画館に吸い込まれていく。上映中の作品は

『Beebop High School(ビーバップ ハイスクール」』。。。

 

そんな時代、実は、「スクリーン」「 ロードショー 」を愛読する映画小僧でした。でも、街中から離れた郊外に住んでおり小遣いもほとんどなかったので、近くのレンタルビデオ屋(レンタル1本が800〜1000円していた記憶があります)で、親に頼んで借りてもらう日々、それらの雑誌には、時折「映画名作リスト」みたいなものもあったので、まず、ビギナーの僕は、そこから抑えようとしましまた。

カサブランカ』『ベンハー』『七人の侍』などを見ていく中、その当時の僕の心に深く残ったのは
 
『チャールズ・チャップリンでした。

"壬生義士伝" 浅田次郎

「歴史」という教科、史実だけをただ羅列したものを暗記し点数を取る、入試としては知識の量・正確さを問うわけで、それで構わないと思いはしますが。。。

「理系に進むのは、国語や歴史という教科が嫌いだから」という理系の生徒が多くいます。また、文系の生徒も、「好きではないが受験科目なので選択している」という生徒も多いのが事実です。

編年体

事実の起こった順に年月を追って記す、歴史書の書き方。

紀伝体

人物伝・列伝を中心に記す、歴史書の書き方。

 小学生の頃、うちの親が買ってくれた数少ない(笑)まんが、「まんが 日本の人物歴史伝」「まんが 世界の人物歴史伝」、これは紀伝体で日本と世界の歴史上の人物をストーリー仕立てで書いてありました。僕は、これを、本当に「穴があいて破れてテープで貼って」のレベルで読み続けていたので(他にまんががなかった、、、)、高校に入るまで、勉強はほとんどせずとも、歴史のテストはいつも高得点でした。

僕は普段の講義の中で、また、休憩時間の会話の中で、「My favorites(本・映画 )」を生徒達にふれ回っています。昨日も、二次試験の個別対策でフラフラになっている(はずの)二人の男子生徒が、そのうちの一冊を読みふけっていました。

それが壬生義士伝」(浅田次郎)です。

 

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〜あらすじ〜

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予備校・塾の存在意義

数年前、東京都教育委員会が、都立高校に大手予備校の講師を呼び、教育内容の改善指導を依頼すると報道がありました。また、佐賀県のある市が、民間の予備校と連携して「官民一体型」の小学校を開設するという報道もありました。

予備校・塾は、一般的に「補習型」と「受験特化型」の二つのタイプに分かれます。「補習型」が、各高校の進度に合わせて、定期テストの対策をメインとします。また、「受験特化型」は、大学合格を目標としたカリキュラムを編成しています。もちろん、その両方をバランス良く組み合わせることも可能ですが、実質的に、上記のいずれかに偏っているのが現状です。(僕の在籍する予備校は、「受験特化型」に属します)

 

その二つのタイプの違いを端的にまとめれば、「補習型=短期目標」「受験特化型=中長期目標」にあると思います。「短期目標」としての定期テストの点数が良ければ、保護者は安心し、また、推薦入試にも有利と映るでしょう。また、「中長期目標」としての大学入試を常に意識することは、より高い目標を目指すことによる保護者・生徒の動機付けとしてうまく機能するでしょう。

 

しかし、保護者・生徒の求める本当の理想は、

定期テスト」の成績も良く、「大学入試」も志望校に合格する

ということだと思います。ただ、それが可能な生徒の割合は、僕の実感で、進学校に通う生徒のうち、おそらく3〜5%程度だと思います。

 

2020年から本格導入予定の「教育改革」、ドラスティックな変化がいくつかある中で、特に「英語教育」における「外部試験の導入(TOEFL・IELTS・TEAPなど)」が一番目を引きます。いわゆる「4技能(読む・書く・聞く・話す)」の習得を中心とした英語習得のスキームに則り、小学校段階から養成した(はず)のツールとしての英語力を大学入試に取り入れ、国際社会の中での「人材競争力」を上げる取り組みです。

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"西行法師" 花と月を愛した孤高の俳人

 

『嘆けとて 月やはものを おもはする かこち顔なる わが涙かな』

 西行法師

〜現代語訳〜

「悲しみなさい」と、月が私を物思いにふけらせようとしているのだろうか。いや、そうではない。本当は愛するあの人のことを思い苦しんでいるのを、「これは月がそうさせているのだ」と言い訳しようとして、思わず流れる私の涙なんだ。

 

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 月と金木犀

 

人生の送り方、生き方、そして終わり方、それらの意味で僕の憧れる人物、その一人が「西行法師」です。

 

本来の専門教科、大学の専攻も英語なのですが、訳あって、いつの間にか国語も教えるようになりました。

僕は、高校時代のあることがきっかけで、「月」にとても魅力を感じ、また、月の満ち欠けを基軸にした平安時代の人々の感性にいつの頃か惹かれるようになりました。

(その頃の僕は、金髪でグレたいわゆるヤンキーでしたので隠してました(笑))

 

『西行法師』(1118〜1190)

本名は佐藤義清、平安末期の大歌人。裕福な武士の家系に生まれ、17歳で兵衛尉(皇室の警護兵)となり、のちに、御所の北側を警護する精鋭部隊「北面の武士」に選ばれた逸材でした(同僚は平清盛!)北面の生活で頻繁に催された歌会で、彼の和歌は高く評価され、また、武士としての実力も一流で、「流鏑馬(やぶさめ)」の達人でもありました。しかも、「かたち」、つまりはルックスも抜群だったらしいです。しかしその後、「自分の生き方」、現代でいう「アイデンティティ」に疑問を持ち、周囲の者たちに惜しまれるまま、妻子を残して出家、その後人生を通じて全国を行脚し、旅の中に人生を終えることとなり、その道中に、多くの優れた和歌が読まれました。

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 西行法師(佐藤義清)

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やわらかい "生物学(biology)"

「カニクイザル」「カニクイアザラシ」「カニクイイヌ」「カニクイガエル」

ただ「カニを食べる」という習性のみで命名された。。。

「マナマコ」

敵の攻撃を受けると「内臓を肛門や口から放出」する。。。

 「カエル」

動くものは何でも口に入れ、うっかりハチなどを飲み込んだ時は「口から、胃を裏返して」吐き出し取り除く。。。

僕が中学時代に毎週購読していた唯一の雑誌「週刊ヤングジャンプ」、その中に当時掲載されていた漫画ナマケモノが見てた」で学んだ「生物学」の知識です(笑)

英語、評論文の素材として「生物学」はよく取り上げられます。ただ、教材内容としての生物学は専門的、かつ学術的すぎるため、なかなか教養として吸収してくれません。

 

そこで活躍するのが、世界中に散らばる「個性的な生物たち」です。

中でも、一番のお気に入りはハシビロコウです。

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ハシビロコウラテン語 Balaeniceps rex 「クジラ頭の王様」)

"アヤパネコ (Ayapaneco)" と "平安時代 (Heian period)"

「アヤパネコ」って知っていますか?

アヤパネコとは、メキシコのタバスコ州で話されている(た?)言語の一つです。元来、少数派が使っていた言語であったそうですがそれでもれっきとしたコミュニケーション媒体として成り立っていました。

しかし、スペイン語の識字能力を向上しようとする国の政策が浸透するにつれて、段々と使われなくなり、また、過疎化も進んだことによって、今現在は、母語話者としては、「マヌエル・セゴビア「イシドロ・ベラスケス」のたった二人になってしまいました。

そしてさらに、二人はとても仲が悪い(笑)ので、対話さえも成り立たないという、「絶滅危惧種」の言語です。

 

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仲の悪い(苦笑)「マヌエル・セゴビア「イシドロ・ベラスケス」

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"科学 (science)" と "帰納 (induction) 演繹 (deduction)"

進路指導や個人面談をしていると、保護者の方や生徒がよくこう言います。

「うちの家系(僕・私)は文系(理系)だから〜」

 

僕はそれを聞くといつも「科学」という言葉の意味を説明することにしています。

普通、「科学」と聞くと連想するのは「物理・化学・生物・地学」などです。つまり、理系の分野のイメージが強いと思います。

でも、「科学」という言葉の本来持つ語義は、広い意味でいうと

「物事を、客観的に分析して、体系的に情報処理すること」

実は、日常的にみんなやっていることなのです。

 

例えば、主婦の方が、スーパーで山積みになったリンゴの中から、一つを選んで買い物かごに入れること、これも「科学」です。

それまで幾度もリンゴを買ってきた主婦の方は、経験則からどんな「色・形・大きさ・香り」がするリンゴが美味しいのかについて、自分の脳の中、いわば、膨大なデータベースから必要な情報を取り出して、山積みのリンゴからベストなものを選び出しているわけです。

でも、その方も、リンゴを買う経験の浅かった頃は、きっと甘くなかったり水分の少ないリンゴを買ってしまったかもしれません。その後、幾度も買い物を経験して、少しずつ「真贋を見極める」リンゴの選び方を体得したはずです。

このプロセスの「経験を経てリンゴの選び方を習得する」部分を帰納と呼び、また、「習得した選び方を駆使してリンゴを選ぶ」部分を『演繹』と呼びます。

 

帰納』『演繹』はいずれも哲学用語なので難しそうですが、そうでもありません。

「具体 → 一般」が『納』(具体例が一般法則にっていく)

「一般 → 具体」が『繹』(一般法則を使って具体的に習してみる)

帰納induction)』 "in-"は"中に入る”の意味

『演繹(deduction)』"de-"は"外に出る”の意味

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